がん経験者の職場転倒リスクは1.9倍、治療中は2.4倍|両立支援プランに転倒予防を入れる根拠と書き方
治療と就業の両立支援の面談で話題になるのは、通院日程と業務量の調整がほとんどです。転倒の話はまず出てきません。私自身、産業医として面談に入っていて転倒を確認項目として意識してきたかというと、正直なところ高年齢の方に限っていました。
2026年8月に産業医科大学が公表した研究は、その前提を変える数字を出しています。過去にがんがあった労働者は、病歴のない労働者に比べて職場で転倒するリスクが1.9倍、治療中の労働者では2.4倍でした。対象は20〜64歳です。年齢の話ではありません。
産業医科大学の研究の概要
産業医科大学 高年齢労働者産業保健研究センターの渡辺一彦助教らが、全国規模のインターネット調査JACSISのデータを使って分析しました。20〜64歳の働いている人11,733名を2023年の調査から1年後まで追いかけ、その間に職場で転んだかどうかを聞いた縦断研究です。平均年齢は42.6歳でした。
1年の間に職場で1回以上転んだ人は全体の8.0%で、転倒で骨折した人が3.7%でした。これをがんの病歴で分けると、差がはっきり出ます。病歴のない人は7.2%、過去にがんがあった人は16.4%、現在がんがある人は32.1%が転んでいました。治療中の人の約3人に1人が、1年以内に職場で転んでいる計算です。
ベースラインの背景要因を調整した相対リスクは、過去にがんがあった人で1.90倍(95%信頼区間1.50〜2.41)。現在がんがある人では2.38倍(同1.79〜3.18)でした。報道発表の1.9倍・2.4倍は、この値を丸めた数字です。骨折についても同じ傾向が出ています。
男女別では、現在がんがある人のリスク上昇は男性2.5倍、女性2.1倍。過去にがんがあった人では男性で2.0倍と有意に高く、女性については報道発表に有意差の記載がありません。
研究グループが背景に挙げているのは、筋力、バランス、骨の健康の3点です。面談の場でこれが現れるのは、私の経験では、化学療法後の手足のしびれ、貧血、ステロイドで落ちた筋力、治療で下がった骨密度です。復職の可否を判断するときに確認している項目が、そのまま転倒と、転んだときのけがの要因になります。
インターネット調査の回答をもとにした研究なので、がんの病歴も転倒も自己申告です。国内の働く人を1万人規模で1年追跡したデータとして、自己申告という前提つきで参照する価値があります。
転倒災害の発生状況
令和7年は、4年連続で増えていた休業4日以上の死傷者が減少に転じた年です。135,333人で、前年より385人少ない。その中で転倒だけが増えています。37,195人、前年比817人増で事故の型の最多、全体の27.5%。2位の「動作の反動・無理な動作」22,166人を1万5,000人以上引き離しました。
けがも軽くありません。転倒による平均休業見込日数は、令和5年が48.5日、令和6年が47.5日。1日縮みましたが、第14次労働災害防止計画の目標「2027年までに40日以下」には、まだ7日以上の開きがあります。令和7年分は未公表です。
死傷年千人率という指標があります。労働者1,000人あたり、1年間に転倒で休業4日以上のけがをした人数です。令和5年、女性は25〜29歳で0.142、70〜74歳で2.887。約20倍でした。男性も25〜29歳の0.214に対して、80〜84歳は1.622です。厚生労働省はこの数字から、高年齢労働者、特に中高年齢の女性労働者が増えたことを転倒災害増加の主要因としています。ここまでは、転倒対策が高年齢者対策として語られてきた理由そのものです。
年齢・性別構成を調整した転倒発生率の推移
同じ研究グループのもう1本の論文が、この見方に注釈をつけました。使ったのは労働者死傷病報告と労働力調査です。対象は2014年から2021年の休業4日以上の転倒災害。労働者の年齢構成と性別構成が2015年のまま変わらなかったとしたら発生率はどう動いたか、を推計しています。
結果は、調整しても上がっていました。年齢・性別を調整した発生率は、労働者10万人あたりで2019年の49.8から2021年の54.7へ。調整前の粗発生率は同じ期間に53.2から60.1へ動いています。2016年以降は調整後の値が常に粗発生率を下回るので、高齢化と女性労働者の増加が数字を押し上げている部分は確かにあります。それを差し引いても、増えている。転倒の多い商業、保健衛生業、製造業のいずれでも同じ形でした。
報道発表資料では、残った上昇分の原因までは触れられていません。年齢と性別では説明しきれない部分がある、というところまでが公表内容です。年齢でも性別でも説明できない部分に、個人の健康状態という候補が一つ加わったと受け取っています。面談で聞いていなかったほうの話です。高齢化対策を続けるのは当然として、それだけでは足りない部分がある。両立支援は、その部分に手が届く数少ない仕組みだと考えています。
治療と就業の両立支援指針における転倒の記載
2026年4月1日から、治療と就業の両立支援は事業主の努力義務になりました。根拠は改正労働施策総合推進法の第27条の3です。同条第2項に基づく告示が「治療と就業の両立支援指針」(令和8年厚生労働省告示第28号)です。それまでの「事業場における治療と仕事の両立支援のためのガイドライン」の位置づけを引き継ぎました。名称が「仕事」から「就業」に変わった点も含めて、現場ではまだ旧称で呼ばれることが多い印象です。
指針の留意事項の一番目は「安全と健康の確保」です。就業によって疾病の増悪や再発、労働災害が起きないようにする。就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮、深夜業の回数の減少と、治療への配慮。これを行うことが就業の前提だと書かれています。業務の繁忙を理由に措置を行わないことは「あってはならない」という強い表現まであります。労働安全衛生法第62条の、心身の条件に応じた適正配置の努力義務も引かれていて、安全配慮は指針の入口に置かれているわけです。
参考資料にはがんの項があり、就労世代の規模も出ています。年間約98万人が新たにがんと診断され、うち24.1%が20〜64歳です(2021年診断)。治療をしながら通院して働いている人は、約49.9万人にのぼります。国立がん研究センターの患者体験調査(令和5年度)では、診断時に仕事をしていた人の19.4%が退職・廃業し、その58.3%は治療が始まる前に辞めていました。
それだけ書き込まれた文書に、転倒の記載がありません。指針本体に「転倒」の語は出てこず、参考資料でも難病の項に1か所、肢体不自由がある場合の配慮例として「転倒の原因となる物を床に置かない」とあるだけです。がんの項にはありません。安全配慮を前提に掲げながら、労働災害で最も多い転倒は指針の視野に入っていない。今回の研究は、指針が触れていないこの部分に数字を当てました。
両立支援プランでの転倒リスクの扱い
指針が書いている手順自体は短く、従業員が主治医から情報をもらって会社に出す、会社は産業医の意見を踏まえ、本人と十分に話し合ったうえで、働き続けられるか、どんな配慮をするかを決めます。決めた内容が「治療と就業の両立支援プラン」です。転倒が入り込む余地があるのは、勤務情報提供書と産業医意見、それにフォローアップ面談です。
勤務情報提供書の様式例には通勤方法と職務内容の欄があり、通勤手段と長時間立位の有無はここに入ります。職場内の移動距離や階段の昇降は様式に項目がないため、職務内容の欄か特記事項に書き添えてもらう必要があります。主治医の意見書には「現在の症状」欄があり、通勤や業務遂行に影響を及ぼしうる症状や薬の副作用を書く様式です。ふらつきやしびれ、筋力低下があれば、ここに出てくるはずです。出てこなければ、産業医の側から主治医に確認する材料になります。
産業医意見では、作業内容と作業環境を分けて見ます。作業内容は、高所、階段の多い動線、重量物、急ぎ足になりやすい業務。作業環境のほうは段差と床の状態を見て、そのうえで照明と危険箇所の表示を確認します。高年齢者の労働災害防止のための指針(2026年4月1日適用)には、高年齢者の転倒は危険に感じられない場所で起きることが多い、という記載があります。安全標識や危険箇所の掲示に留意し、わずかな段差にも注意を払うよう意識付けをする。高年齢者向けに書かれた文章ですが、治療で身体機能が変わっている人にも読み替えて使えます。
両立支援指針の参考資料にある両立支援カードの配慮メニューにも、安全な移動手段の確保、移動が少なくなる配置、段差を少なくするという項目が並びます。プランにそのまま転記できる文言です。
フォローアップ面談は、指針がプランの項目として挙げています。産業保健スタッフや人事労務担当者による面談です。ここに「この1か月で転びそうになったことはありますか」の一問を足すだけで、転倒につながる変化を早めに拾えます。高年齢者の指針が挙げている身体機能セルフチェックや質問紙による体力の把握も、がん経験者にそのまま流用できる道具です。
令和8年度の全国労働衛生週間の実施要綱を読むと、両立支援は重点事項に、転倒・腰痛災害の予防は「作業内容や働き方に応じた事項」に、別々の項目として置かれています。行政の文書では二つは別の話です。ただ、事業場で別々に管理する理由は見当たりません。両立支援プランの確認項目に転倒を一行足し、面談記録に転倒の有無を残す。それだけで、この二つは一つの運用になります。
出典
産業医科大学「職場での転倒リスク 過去にがんがあった労働者1.9倍、現在がんがある労働者2.4倍」報道発表資料(2026年8月26日公表・2026年9月3日取得)
Watanabe K, Kawachi I, Tabuchi T, Zaitsu M. Increased risk of occupational falls among cancer survivors: Japanese nationwide cohort. Occupational and Environmental Medicine. Published Online First: 17 August 2026. doi:10.1136/oemed-2026-111106
産業医科大学「年齢・性別構成を考慮した転倒災害発生率を分析-日本の労働者における2019年以降の増加傾向を確認-」報道発表資料(2026年8月26日公表・2026年9月3日取得)
Watanabe K, Kawachi I, Zaitsu M. Trends in occupational fall incidence in Japan, 2014–2021: A nationwide study. Journal of Safety Research. Published Online First: 20 August 2026. doi:10.1016/j.jsr.2026.07.005
厚生労働省「令和7年 労働災害発生状況」確定値・参考資料(2026年5月27日公表・2026年9月3日取得)
厚生労働省「令和6年の労働災害発生状況を公表」(2025年5月30日公表・2026年9月3日取得)
厚生労働省「令和5年 労働災害発生状況の分析等」(2024年5月公表・2026年9月3日取得)
厚生労働省「第14次労働災害防止計画」(2023年3月・2026年9月3日取得)
厚生労働省「治療と就業の両立支援指針」(令和8年厚生労働省告示第28号・2026年4月1日適用)および参考資料(2026年9月3日取得)
厚生労働省「高年齢者の労働災害防止のための指針」(2026年2月10日公示・2026年4月1日適用・2026年9月3日取得)
執筆・監修
WellaboSWP編集チーム
「機能する産業保健の提供」をコンセプトとして、健康管理、健康経営を一気通貫して支えてきたメディヴァ保健事業部産業保健チームの経験やノウハウをご紹介している。WellaboSWP編集チームは、主にコンサルタントと産業医・保健師などの専門職で構成されている。株式会社メディヴァの健康経営推進チームに参画している者も所属している。
